字幕見ながらメモ^0^

1995年放送
放送70周年記念番組
日米共同取材
NHK・ABC

映像の世紀(3)

マンハッタンの南に浮かぶ小さな島エリス島に向かう移民船
合衆国の移民局
この島でアメリカに忠誠を誓い入国検査に合格して初めて憧れのマンハッタンへ渡る事ができた
第一次大戦後ヨーロッパからアメリカへの移民は急増
戦場にならなかったアメリカは、よりよい生活を約束してくれる新天地
既に高層ビル摩天楼が林立していた1920年代のマンハッタン
大量の情報が流れ始め
大衆のさまざまな欲望が噴き出していた
ダイナミックな大衆社会が形成されつつあった

現代の大衆社会のルーツともなった1920年代のアメリカの光と陰、その繁栄と奈落
噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした
第3集 それはマンハッタンから始まった

1919年春 連日のように行われた帰還兵の凱旋パレード
スコット・フィッツジェラルド「マイ・ロスト・シティ」
ニューヨークの街
「地獄の勇者たち」黒人兵だけの第369連隊
ジャズで征服
ハーレムに行けばもう何も恐れる事はない。
E・ファックスの手記
クラブやキャバレー
コットン・クラブ
キャブ・キャロウェイ
デューク・エリントン

1900年頃~始まり20年代には摩天楼建設ラッシュ
第1次世界大戦以降急成長
20世紀の都市の原型
資本主義精神
あるイギリスの作家

1919年1月パリ ヴェルサイユ会議
第28代アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソン
国際連盟
神の召使
米議会:アメリカは世界の紛争に関わるべきでない、条約批准を否決
以後アメリカは専ら経済的な国力の増強へ

ドイツ 
巨額の賠償金、インフレで物価は戦前に比べて1兆倍超え
工業生産力も低下、失業者が増大

1921年 革命後ロシア干ばつによる未曽有の飢きんで300万人飢死者

1921年5月(大正10年)皇太子裕仁親王20歳 ヨーロッパ5カ国訪問の旅 


●モラル革命・ヤールストンダンス・フラッパー

アメリカ帰還兵
現世をより楽しむ
享楽的な気分
チャールストン流行
古いモラルからの解放と新しい性意識
音楽やダンスの急激な広まりの原因はラジオ
1920年ピッツバーグ
大統領選挙開票速報に合わせての開局
スポーツ・ニュース・ジャズ音楽

婦人雑誌レディス・ホーム・ジャーナル
高校生の息子を持つ母親の手記
短い髪とスカート
美顔術やパーマの発明
美容師が高額納税者に名を連ねるようになる
フラッパー

マンハッタン地下鉄工事
移民・黒人労働力
都市に流入する移民があふれ驚くほど安い賃金
繁栄の20年代の基盤を支えていた
マンハッタン南部イタリア移民街
イタリア移民の手記


●Jack Dempsey・Babe Ruth・ラジオの向こうの快楽・ヒーロー誕生

1926年9月 ジャック・デンプシー初の100万ドル試合
フィラデルフィア・スタジアム
チャンピオンを作るのは大衆
ジャック・デンプシー「自伝」
ラジオ放送
デンプシーロール
リングの殺し屋

1927年 ベーブ・ルース ホームラン60本通算714本
ルー・ゲーリック
マンハッタンの住人の手記
『何か新しい事聞いた?』

ブロードウェイ
ミュージカルの全盛期
ラジオ
レコード
1927年 ジョージ・ガーシュイン
ラプソディー・イン・ブルー
ジャズエイジ
1920年


●不寛容・移民制限・暴動

20年代の初めはアメリカ史上最もストライキの多い時期
毎日のように伝えられる労働者の過激な運動のニュース
ロシア革命アメリカに上陸するかのような不安

1920年6月16日 ウォール街モルガン商会爆破テロ
世界の金融資本の中枢を狙った犯行は証拠もなく共産主義者のせいにされる

司法長官ミッチェル・パーマー
共産主義者追放の先頭
反共主義
邪悪な思想・共産主義の運動家達
残忍さ、狂気・ロシア革命の炎
教会の祭壇・学校・アメリカ人の神聖なる家庭
M・パーマー司法長官「ザ・フォーラム」
4000人検挙
共産主義の指導者を検挙し「ソビエトの箱舟」でソ連に一斉追放

1922年ごろ クー・クルックス・クラン(KKK)会員500万人
19世紀テネシー州発祥
秘密結社
白人アメリカ人が優秀な人種 
黒人・ユダヤ人・共産主義者・移民などを否定する組織
我々アメリカ生まれの白人プロテスタント
余所者に財産を狙われ、搾取の対象
我々だけが生粋のアメリカ人で人種的に優れている
KKK指導者 H・エバンズ「さあ、共に考えよう」
大衆の不安感を利用し勢力を拡大

1921年7月 オクラホマ州タルサ 大規模な白人による黒人襲撃
第一次大戦後、白人と同様に戦った黒人
平等を求める意識の高まり
白人にとって恐怖の対象に
各地で黒人の弾圧、クランによるリンチが続く
「カラスの巣」
当時の黒人青年の証言

排他主義
1920年春ボストン サッコ・バンゼッティ―の冤罪事件
証拠不十分
死刑判決
イタリア移民
アナキスト
1927年パリ 全世界の知識人が抗議行動
アメリカでも人道主義を問う声
赤狩り時代
恐怖と憎しみ
自由主義者なのか、保守主義者なのか
自分の立場
議論
ジャーナリスト J・アレン「オンリー・イエスタディ」
1927年8月電気椅子で処刑
寃罪であった事が認められるのは1977年


禁酒法

1920年1月17日 アメリカ全土に禁酒法施行
1917年までに27州で導入、この時期に全土に施行の理由
戦争という非常時のために穀物を節約する必要性
ビール業者の多くが敵国ドイツ出身者 など
当時の政治家の真の狙い
移民労働者の飲酒の習慣を取り締まること
排他主義の表れ
ザル法
業者摘発されてもすぐ釈放
悪質な密造酒で1500人が死亡
ちゃんとした酒
誰も法律なんて気にしていなかったのです。
当時20代の青年の証言
もぐり酒場
医療目的と称して薬局を通す
病院に売った
救急車にそれを取りに行かせた
警察も知っていたけど、見て見ぬ振りをしていた。
もぐり酒場の経営者の手記

古いモラルを否定 奔放な生き方
スコット・フィッツ・ジェラルド
自分が望むものすべてを手に入れてしまった人間であり、
もうこの先、これ以上幸せにはなれっこないんだという事が。
マイ・ロスト・シティー

賭博・売春・殺人 ギャングの横行
都市の影の部分
1931年 アル・カポネ逮捕
イタリア系移民
暗黒街の帝王 
脱税と5000件にのぼる禁酒法の違反容疑

1923年(大正12年)9月1日 関東大震災
10万7千5百人余りが死亡または行方不明
7割の家屋が焼失
流言飛語 暴動
朝鮮人多数殺害

1924年6月24日 サンフランシスコに到着する日本からの移民船シベリア丸 
移民を制限する法律が制定
7月1日 実質的に移民が全面禁止

1925年 パリ・シャンゼリゼ劇場にジョセフィン・ベーカー登場
アメリカ人黒人ダンサー
新しいアメリカニズム
セックスシンボル

1924年1月 レーニン53歳で死去
スターリンソ連共産党の権力を一手に握る

1920年代後半ドイツ ナチスアドルフ・ヒトラーが着実に 大衆の支持を獲得
イタリア ファシスト党ベニト・ムッソリーニ一党独裁の政治体制を確立


●土地ブーム・株・スキャンダリズム

1920年代後半 ラジオ・新聞・ニュース映画で大量の情報を同時に受け取る
社会を動かす決定的要因
ヒステリー
たゆまぬ努力など一文の値打ちもない。
「稼業」手っ取り早く金を稼げるもの
投資
スコット・フィッツジェラルドマイ・ロスト・シティー
ウォール街ニューヨーク証券取引所 
企業家から労働者、主婦に至るまであらゆる階層の人々
ラジオの株式市況
豊かな生活と好景気への信頼
1927年の第1週 株の取引高が史上最高を記録
乱高下
信用貸し
ブローカーか銀行から簡単に借りられた
ウォール街の株仲買人の証言

建築ブーム
大都市郊外
自動車の普及
行動範囲の広がり
“空き”と印のついた用地
「4階より低い建物なら何でも私達にとって空き地ですよ」
E・プール「港」

家庭電化製品の発明
主婦に時間
通販の登場
郵便箱に入った世界一の百貨店
6気筒7人乗りのセダン
高いコンサート
一番値段の張るレストラン
当時の新聞記事より

農村
悲惨な状態
過剰な設備投資
農産物価格の下落
不況
焦げ付いた貸し付け
地方銀行経営危機
20年代後半 7つの州で銀行の40%が倒産
離農

生活必需品は既に必要水準を満たし贅沢の域に達しました。
第30代アメリカ大統領カルビン・クーリッジの演説

ラジオ
好奇心のはけ口・より刺激的な情報
・1926年8月ルドルフ・バレンチノ葬儀
・フロイド・コリンズ 衰弱から死まで20日
・1925年7月5ヶ月後テネシー州デイトン「猿裁判」
シカゴのWGN局によって全米に中継放送
裁判のマスメディア公開の先駆け
1968年廃止


●昭和・ぼんやりした不安・張作霖

1920年代後半上海 欧米列強の租界地のにぎわい
1927年4月 蒋介石の反共クーデター
上海市内では労働者や共産党員が多数逮捕・殺害
アメリカをはじめとする列強諸国が続々と軍隊を送り込み
何千人もの苦力(クーリー)
塹壕
有刺鉄線バリケード
J.B.パウエルの手記

1928年(昭和3年)11月 昭和天皇即位式御大典
モダンガール
1927年(昭和2年)12月 上野-浅草間日本初の地下鉄開通
不況と大震災のため構想から10年

アメリカ上流階級向け雑誌「ヴァニティー・フェア」
「チャンスある土地 満州
アメリカから満州への海外投資を呼びかけ
広告を出したのは南満州鉄道株式会社
満州の中心地 奉天
満州事変の発火点 
当時の満州に住む日本人はおよそ23万人
日露戦争以後移住
関東軍が1万人駐屯
日本にとって資源の宝庫
スローガン「満蒙は日本の生命線である」
国家戦略が進められようとしていた時代
1928年(昭和3年)6月 張作霖爆殺事件
中華民国 陸海軍大元帥
関東軍が満蒙領有の障害となった張作霖を革命軍の仕業に見せかけて殺害

1929年(昭和4年)8月19日 世界最大の飛行船ドイツのツェッペリン号 霞ヶ浦での歓迎式典
10万人の群衆

1927年 芥川龍之介36歳で自殺
芥川の遺書「或旧友へ送る手記」
少なくとも僕の場合はただぼんやりした不安である。


●崩壊・Lindbergh

1927年5月20日朝7時52分 チャールズ・A・リンドバーグ、ニューヨーク-パリ間の大西洋横断無着陸飛行へ飛び立つ
アメリカ中に興奮
スピリッツ・オブ・セントルイス
33時間30分
5月21日夜10時過ぎ パリ ル・ブールジェ飛行場に到着
「翼よ、あれがパリの灯だ」
クーリッジ大統領
合衆国海軍の巡洋艦
一市民を迎えるために軍艦を使った事に異議を挟む者は無し
一夜にしてアメリカを代表する英雄
リンドバーグ帰国後の演説
ニューヨークの5番街に降り注いだリンドバーグをたたえる紙吹雪
自らを宣伝する事のない万事控えめな態度
大衆の心に一陣のすがすがしい風を送り込んだ

精神的飢餓状態
以前の理想や幻想、希望が壊されていく
宗教の土台を崩しその感傷的な考えを嘲る科学の教義と心理学説
猥雑と殺人とで食っている新聞
人々のリンドバーグに対する気持ちが、巨大な宗教が復活したかのような様相を呈したことに何の不思議があろうか。
F・アレン「オンリー・イエスタデイ」

何か光り輝く異様なものが空をよぎった。
「そうか!空を飛べば抜け出せたのか。」
スコット・フィッツジェラルドジャズ・エイジのこだま」
当時31歳 複雑な感情

1929年「ニューヨーク・タイムズ」年頭社説
「もし過去をもって将来をはかる方法があるとすれば、この新年は慶賀と希望に満ちた年となるであろう」
9月3日 株価は史上最高値に
ところがそのあとは小さな下落を繰り返す
好景気に支えられた強気相場は永久に続くと信じていた
バブル経済の崩壊を予見する事など不可能な事だった
10月24日 株価は突然に大暴落
10年29日 上回る株価の総崩れ、恐慌の始まり
10月30日 取り付け騒ぎで大混乱するウォール街
新興国アメリカがついに破綻した事を世界に伝える映像

繁栄の極みから奈落の底へ
現代社会のルーツともいえるアメリカの1920年代は大恐慌の始まりで幕を閉じる
恐慌は復興しかけていた世界へと広がった
アメリカから始まった恐慌は第一次世界大戦の痛手からようやく復興の兆しを見せ始めた世界に瞬く間に広がっていく
世界は恐慌から抜け出ようとしながら、やがてファシズムが台頭する時代に向かっていく。